IQ1Yq3eEjLNBwU91520750931_1520751026皆さんこんにちは。
タイトルを見れば分かりますが、3月11日の今日は東日本大震災が発生した日ですね。
あれからもう7年が経ちました。今テレビをつけてみると、ほとんどが特番です。

当時を思い出せば何週間か停電が続きましたし、交通規制の影響で全然外に出ることもできないし、インターネット依存症の私にとっては本当に苦労しました。
しかし、私以上に比べられないくらい苦労した方々もたくさん居るわけで、切なくなりますね。

今回は、私が震災時に体験した話をメインに書いていきますよ。

東日本大震災の話

まず私の住んでいる所は岩手県宮古市。今も実家暮らしなので宮古市在住です。
宮古市と言えば、
ヘドロが混じり黒くなって押し寄せてくる『黒い津波』の映像がとても有名ですよね。気になる方は検索してみると「あーあの映像か!」ってすぐ分かると思います。

※ちなみに私の実家は海側ではなく山側なので、津波だけによる被害はありませんでした。

◎地震発生当時の話
地震発生時、私は家に居ました。仕事のシフト上、遅番だったのでまだ出勤前ですね。
確かテレビを見ていたと思います。すごい音の地響きからはじまりその後、長い時間の大きな横揺れになり、すぐ停電しました。あまりにも大きい揺れだったので、ハイエンドタワーのパソコンやテレビ、本棚が倒れそうになったのを手で抑えた記憶があります。

すぐに同じ家にいてた祖母の安否状態を確認し、コンビニに行きましたね。なにしにコンビニに行ったかといえば携帯の充電器(電池式)電池を買うためでした。携帯の充電自体は全然余裕だったんですけど、まあまだ津波が来る前でしたし、ある意味冷静だったのかもしれません。
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◆上の画像は、当事私が使っていた携帯とコンビニで買った充電器です。
なぜか捨てれずに今も持っています。家族全員がauだったので、使いまわし充電しました。

◎津波が発生
津波の発生については、ラジオで聞いていました。停電でテレビも見れませんでしたし、情報収集できるのはラジオだけでしたからね。けど、ラジオで伝えるニュースでは津波のイメージができなかったので、後で見た津波の映像はとても衝撃でしたよ。ここまですごいことになっているとは思ってなかったので驚愕しました。

その後、職場(海に近い所にある)に電話しても連絡が取れないし、携帯電話も通じずテンテコマイでしたね。夕方に出勤してみようと思って車を出してみても、交通規制がかかっていて引き返すしかできませんでした。充電器を買ったコンビニまですら行けませんでした。

私の家族に限っては、全員無事でした。時間はかかりましたが携帯メールで安否確認ができました。ただ、両親・妹ともに帰宅困難者となり5日~1週間くらい帰れない状態でしたね。

◎食事と夜の生活
食事は、ほとんどがカップラでした。石油ストーブの上にヤカンを置いてお湯を沸かしました。
また、夜の生活については、初日は懐中電灯をつけて生活していましたけど、2日目3日目と経つにつれ、電池がもったいないなあと思うようになり、ロウロクをつけてやりくりしてましたね。まあロウロクつけても真っ暗ですし、できることもないので、とりあえず夜は寝るだけです。
 
◎個人的に1番困ったこと

個人的に1番困ったことと言えば、やっぱり車のガソリンでしたね。
ライフラインは大体2~3週間くらいで復帰しましたが、ガソリンだけは全然補給できなくて、ものすごく苦労しました。妹や両親を迎え行くためにも、食材の買出しに行くにも、田舎に住む人にとっては車の存在が不可欠です。車がないと何もできません。

朝から何時間もガソリンスタンドに並び、また給油制限(1人10ℓまで)とかあってと全然ガソリンが足りないんですよ。ガス欠でこれで外出したら絶対帰ってこれないだろうっていう場面が何回もありましたね!近所の親戚のおじさんが、携帯用ガソリン缶を使って分けて頂いたのも、すごく記憶に残っています。

◎数週間ぶりの宮古市内中心部を歩いた
交通規制が解除され、親と一緒に宮古市内の中心部を見に行きました。理由としては、今でもお付き合いがある高校の同級生の安否確認をするため。宮古市内の中心部に家(お店)があります。
実際行って見れば、ヘドロで道路がベタベタ真っ黒。横たわる泥だけの車。浸水した店の前に無造作に出された家具や仕事道具。臭いはそこまでひどくはなかったですが、津波発生当初はすごかったでしょうね。
一応無事に会うことも話すことも出来、安否確認ができました。

※関連記事を紹介
津波から一週間。宮古市末広町の被害状況

私もはじめ車で移動しているときは、携帯電話で「現状の写真撮ろうかなあ」と思っていましたが、行って見ればそれどころじゃありませんでしたよ。写真を撮れる様な心境になれませんでした。
人の不幸を携帯などで撮影する行為について、自分の考えを改めさせる結果となりました。

まとめ

なんだかんだあって7年目です。現状今でも被害が酷いところはさら地の状態ですよ。
震災復興関連の工事は今でも続いており、毎日他県ナンバーのトラックが何台も並んで道路を走っています。
また、地元のテレビの放送でも、震災遺構をどうするかという話をよく聞きます。
※震災遺構とは?
震災が原因で倒壊した建物などであるが、次世代に向けて震災が起きたという記憶や教訓のために取り壊さないで保存しておくというもの。

最後になりますが、阪神淡路大震災の時もそうですけど、時間が経つとどうしても記憶が薄れてしまうわけです。できるだけ、こういうことがあったんだという経験と教訓を今後も活かして生活をして行きたいと思います。
最後までご覧頂きありがとうございました。